寝ぼけ眼で珈琲を淹れ、部屋を見渡してみると、畳の上に水たまりができていた。

近づいてみると、ちょっと黄色みがあり、アンモニア臭がある。おしっこだ。なんだか、珍しい。畳の上にするなんて滅多なことだ。そういえば、さっきノラ猫が家に入ってきて威嚇していたっけなあ。そのノラが圧倒的に強いのだろうか、人はビビりまくって腰が抜けたりすると糞尿をもらすことがあるが、それと同じ現象が猫たちにも起きてるのかもしれない。ノラ対策委員会、もうちょいがんばろう。

そんなことを思いながら、お湯でしぼった雑巾でたたみを拭き取り、そのうえにリセッシュを数回吹きかける。猫たちのおしっこもうんこもゲロも、食い散らかした小動物の死体も、何も気にせずに処理できるようになっている自分に気づく。むしろ、あいつらしょうがないな、と片付けながら情が湧くほどだ。子育てってこんな感じなのかもしれんな、とその一端を味わわせてもらっている。これぞ、猫暮らしのおもしろさの一つである。

デバイスとワガママと30000

自分にとっての”go and catch”でいえば、執筆はもちろん、読書、そして鑑賞(観劇)も挙げられる。大事なのは、書いたものを、読んだものを、観たものを、さらにだれかと共有して、あーだこーだ言い合う時間だと思っていて、その言い合いのなかで前に進むヒントと問いかけを拾える。いわゆる「対話」の行為こそ最上級の”go and catch”としてることに気づく。


ゼルダをとりあえず全クリしたと聞いて、ふと考えたのは、夢中になれるものがあるなら、なるべく「飽きるまでやらせてあげたい」という情について。ぼくは先月ラングリッサー2(MD版)をプレイしていたが、自分の中でむちゃくちゃノッてるのに、「このステージだけ」と制限をかけるのはちょっと気が引けてしまった。「今夢中になれてるなら、夢中になれてるうちに、飽きるまでやっちまえよ。明日も夢中になれるかなんてわからないんだから」と飽き性の自分に対してジャブを入れ、「夢中なうちに刹那的でもやるだけやって飽きちゃってから次にいけるとよくない?」という提案をし続けている日々である。そうやって、自分の没頭をなるべく許可してあげられるような付き合い方を意識するようになっていた。先日、陸上は「中長距離」派と言ったとは思えない、「短距離」スプリント発言でどうかと思うが、まあそんなもんである。ちなみに、勢いのままにプレイしてラングリッサー2は全クリした。

と、ぼくも30000(散漫)な文章を書いてしまっていた。文章を書く人は50000(ごまん)といるけど、その中で交換日記ができて、さらに30000と書けるような間柄はそうそういないよなぁと4343(しみじみ)思う今日この頃。いよいよ梅雨っぽくなってきたかも。

One Comment

  1. Pingback: テーマ選別と自己肯定感 | yeri.me

Comments are closed.