15分に250円。
ドトールで注文したアメリカンコーヒーの値段である。15分に対して250円安いと感じるか高いと感じるかは分かれるだろうが、ぼくからすれば「そもそも場所にお金を払わされることが多いのが都会だよな」という感想である。嘆きとかでもなく、ただただそういった事実があり、そうせざるえない土地や経済の構造がこの街には組み込まれている。そして、これが当たり前の価値観で生きてて、比較する場所を知らぬままこの街でとどまって死んでいく人もいるのだなぁとふと思ってしまった。
と、えらく大事(おおごと)のように書いてしまったが、ただ友人を待っている間に「どこで時間潰そうかな。15分だけならサッと入れて出れる場所がいいな」と感じたところからはじまった、都会と田舎のギャップの再認識でしかない。そして、マックとドトールを見つけ、学生ばかりのワイワイとした店を避けるべく、ドトールにしただけだ。そのうえでの250円。ちなみに、ワイワイとした店を避けたのは、15分の限られた時間で隣のしょーもない若い会話でいちいちイライラしたくなかったから(度量が狭いのです)。
さて、15分の暇つぶしのあとは、大衆居酒屋とタイ料理屋とチェーン喫茶店に入って、あれやこれやを食べ、飲み、しゃべった。ここで書いてることもそうだが、他愛のないことをトピックに挙げるのを気にすることなく自然にしゃべれて、相手の話を聞けるのは心地がいい。
そういえば、タイ料理屋で食った肉がうまかった。異国の料理は名前を覚えづらいスパイスが使われてることが多く、たった少しスパイスが染みこんでるだけの違いなのに異国情緒を感じる(もしかしたら雰囲気で感じさせられてるだけかもだけど)。
ぼくの暮らしもちょっとしたスパイスをくわえるだけで、わりと十分なんだろうな。大きなことはしなくていいから、同じことを繰り返す習慣の中で、その解像度を上げるとか、取り組み方を変えるとか、そもそもの捉え方・考え方を変えてみる(新たな視点を探る)とか、そんなもんできっと日常にスパイスがふりかかる。日常の中にどれだけ非日常を見いだせるか、やはりそれでしかないんだろうな、てか、そういうのがぼくは好きだ。
大きなことで変化を起こそうとしない。小さなことを大きく捉える妄想(力)で暮らしをのうのうと楽しみたい。たおやかに生きながらえたい。そうやって“MP消費”を抑えながらうまくやっていけたら。
○ MP消費と外発的なもの

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