「ダーマトグラフ」という言葉をはじめて目にした。「グラフ」はわかる。「ダーマト」ってなんだ。言葉の組み合わせが気になった。「Dermato-」聴き慣れぬ単語を調べてみると、ああなるほど、ギリシャ語由来か。「皮膚」という意味があるらしい。いちいち単語をたのしめるから毎日はたのしいよな。
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誰かに、何かに、社会に「ゆらされない暮らし」を心がけてる身をしては、「空気をゆらさない」という文句には惹かれてしまった。幼少時、同じく転校生だったにも関わらず、ぼくは周りをどうゆらしてしまうかを想像したことがなかった。都会から島へ移ったのだから、異文化があるのは当然で、目立ってしまう可能性があるのはそれなりに覚悟していたが、自分の影響を何も考えることのなかったあんぽんたんだ。よそ者が地域にどう影響してしまうか、そしてなるべく目立たないように、とひっそり微動する今の自分とは真反対でおもしろい。反動だろうか。
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「読む」をがっつりしていたのは、小学校のとき。図書カードに何冊借りたか記し、競うゲームをやっている気分だったのだろう。童話から偉人伝を中心に、たくさん読んだ記憶がある。そして「志す」という姿勢を偉い人たちから120%以上学びとってしまっていた気もする。そのエネルギーが空回りすることもあるのを学ぶのは、10年以上先のことである。中学校〜高校〜大学〜30代手前まではあまり「読む」ことはせず、授業の中で、レポートや仕事で必要に迫られて、という理由でのみ本は手に取った。その行為と物体に意味を持ち、好奇心から読むようになったのは、29歳、鳥取に移ったタイミングからである。
反対に「書く」はいつから始まったのだっただろうか。高校の国語の授業で「図書館で本を読む」という時間があって、小さな図書館で見つけたのが斎藤孝『原稿用紙10枚を書く力』だった。あの時は、ジャーナリストをめざしていた気がするのだけど、800字ほどの読書感想文や意見文ですら書くのにウダウダしていた頃だ。そんな書けない自分を憂いながら手にしたわけだが、その内容に感銘を受けたのを覚えてる。10km走れればフルマラソンは走れる、同様に、10枚かければ論文も小説も書ける、そんな例えにシビれたものだった。しかし、書きたい気持ちだけが膨れ上がるも「自分は書ける人間じゃない」と蓋をして、結局書くことが日常的になるのは大学になってから。少しだけ時間を要した。しかも「書く」と意識せずに使っていた「mixi」がそのはじまりで、そこからamebo、blogger、livedoorとブログをハシゴしていく。ちゃんと「書く」ことを意識して書くようになったのはじつは「ハチナナハチハチ」だったかもしれない。
パフォーマンスする意識を欠いた状態でパフォーマンスする。
ぼくが一番いい状態は、こういうとき。それに気づいたのも「書く」ことが日常化して、数年経ってからのことだ。書くことが教えてくれたことはたくさんある。まず、もう一人の自分を、自分の中に混在させることに成功した。「二人暮らしin自分」である。それ以外にも書きたい「書く」効能はあるが、とりあえず今日はこのへんで閉じておこう。腹八分目がいいってことをどこかで学んだから。
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