「挑む」という言葉ほどには心がのっからないけども、新たなテリトリーに向かうためのエントリーをここ数ヶ月ずっと続けている。“続けている”だけあって、落ち着かず、つねに頭がぷすぷす音を鳴らすかのように回転していて、ああなんか考えるので疲れちゃったなぁという日も多い。が、今まで使ってなかったけど、「え、やればいけそうじゃね?」という思考回路が開通しかけていたり、やればやるほどに35歳という年齢は「まだ全然若い」と認めざるをえない。とはいえ、おじさん見習いという意識は保ちながら、上と下の世代間ギャップに悶々としながら日常という海に進水している。
2~3月までの伸びしろとも言える“悩みしろ”は見えてる分、4月からはやや逞しくなっているんじゃないか。そんな甘い期待を胸に抱え……られるわけもなく、根暗は根暗なりにマシンガンのように飛んでくる悩みを、大喜利なのか合気道なのか、とにかく処理していくだけである。そう、「処理」なのだ。今しばらくは、「開発」ではなく処理に時間を当てる。まあそれでいい。どう処理できるかによって、これからの開発環境が出来上がっていくのだから、集中のときであり、明るい話ではある。
自分の敏感なところと、鈍感なところについて考えた。さきほどの「処理」については、敏感に、事細かくいろんなことに目を配り、思考を巡らす。大事なことではあるんだけど、それをバカみたく続けてると、一気に気力(MP)が消費されていく。体力(HP)がどんなに残ってようが、身体を操縦するのは精神であるとするならば、いいあんばいで、ぼちぼち物事に向かっていくのがいい。
ここで「いいかげん」っていうエキスが必要になるわけで、「開発」のためには、考えすぎずにがしがしと手を止めずに進めていく鈍感さがあると心強い。ある程度、細かいことを見逃しながら、「ああわからないことはわからないな(現時点では)」と未知については、後からふり返って、じっくり考えたいだけ考え、協議すればいいじゃん。何度も何度も、やや甲高く声を大にして、自分に言い聞かせたい感覚である。
物事に合わせて、敏感と鈍感をうまーく行き来できるような、いいかげんのバランス感覚、これが欲しいんすよねー。まあ、鍛錬あるのみか。癖づけるためには、ある程度の量をこなすことだけど、自分の場合は、一点集中の詰め込み型で身につけるのが向いているように思う。 春までは、そこんとこ、よろしくな、おれ。
p.s. 遅ればせながら、Netflix「ウェンズデー」を3日かけて観終わった。最終話の「ハグ」にいくまでのジャブが何度も打たれてて、ハグした瞬間にうるっときてしまった。ミステリーコメディというような自分にとってはあまり触れてこなかったタイプの作品だった。シーズン2が待ち遠しい。そして、ウェンズに感化され、勢いだけでタイプライター(英字)を買ってしまった。さて、どう使おうかしら。