日記を書き始めようとすると、妙に落ち着かない。草刈り後にすぐシャワーを浴び、温度調節に迷いながらも、ヒートテックのUネックTを着ていたが、腕がごわごわする。もう長袖に耐えれない季節になったいたのか。段ボール箱に詰めていたTシャツをとりだし、秋冬に眠っていた間に熟成した匂いは無視をして、やっと快適になった。
さて書くぞ。
さっきの草刈り手前で、庭の梅の木のそばにトマトの苗木を植えた。数日前にもらっていたがずっと放置していたものだ。毎日水は遣っていたが、葉の1~2枚ほどが枯れはじめて黄と緑の間くらいの色でしなびて、これは急がねばと植える段になった。
土を耕し、ちょっとだけ深く穴を掘り、「斜めに植えるといいですよ」ともらったアドバイスを思い出し、そのようにして、支柱を立てた。斜めにする理由までは思い出せなかったが、まあいい。どうなるかは実験的に観察すればいいのだ。
枯れた部分に養分を持ってかれるのはもういいかと思い切って葉をちぎった。すべてが緑の苗となった、今どうにかすくすく育っておくれ。
ついでに去年12月に回収したもののずっと放置していたレモンバームも植えた。もう果てたと思っていたが、春のこの時期になって茶色の枯れ葉の中に緑が混じっていることに気づき、復活の可能性に賭けてみることにした。
そういえば、庭の各所に植えた数種のミントも今年も生えている。薬草の生命力たるや、このしぶとさは見習いたいものである。
シェフからは、各枝から8枚くらいの細い葉が円を形成するように伸びているのであるが、この前、何枚かを剪定した。そこの部分は、数日経つと枯れ、触るとポロっと落ちたのだった。なんて効率的な生き物なのだろう。刈られた必要のない部位を「いらねえ」と見捨てる潔さ。
3つのタスク(構想、執筆、公開)は、一切の手がつけられないまま1週間がすぎ、「保留中のタスク」に変貌し、ある日おれは、それら3つをそっと削除した。後悔はしていない。
一般的かどうかはさておき、少なくとも自分に当てはまるのは、何かをつくるとき「手がつけられず放置してしまったもの」は、潔く、「なかったこと」「やらなくてもいいこと」に変換する柔軟さが必要だなあと感じる。
おれには潔さがない。いろいろ引きずりがちなのだ(今もできていないタスクに引きずられている)。もちろん仕事に関するものならいいのだけど、「自分の自由意志でやると決めたけどできていないこと」を引きずってばかりだ。いや、引きずられてしまっているのかな。
ちょうど今は、いったんSTOP!と新しくやることを差し止める時期だと自覚している。とりあえず、まずは、やれていないことを「なかったことにする」か「やりきる」の2択で片付けてから、他人からなのか自分からなのかわからないが新たな受注をしようじゃないかと。
やらないといけないことは、マイナスをゼロに戻す作業だなと気付かされたんだけど、ここ数年ずっとゼロすることばかりしかやっていない気がしてきた。ゼロイチのことをしたいから、4月から環境を大きく変えたんだろうな、と自分の本能的回避に納得しちゃった。
p.s. こちら