何かを「する前」と「した後」、どちらのほうがブログを書きやすいか、とふと考えてみる。
経験則的には、「した後」のほうが吸い上げた情報が溜ってるし鮮明だし、そこに紐付く感情もいいあんばいで荒ぶっていたりするので、このタイミングで記録できるに越したことはない。ただ、それはあくまで「ベター」なことで留めておきたい。
「した後」だと終わりが見えにくく、いくらでも考えて手直しする時間があると解釈しがちで、妙に見せ方をこだわってしまう。すると「ハフトゥ(やらなきゃ)」性が強くなる。いつしかそれが「マスト(義務)」にすり替わってしまうと、そもそも何のために書くのか! 自分の心地よさと“薬づくり”のためではなかったか? と初心がぼやけて、書くことがただの作業になり、しんどくなってくる。ハフトゥ&マストはぼくにとっての“毒”なのだ。気が向いたときにさささとやることに意味がある。
では、「する前」だとどうだろうか。映画を観る前に。打ち合わせの前に。移動の前に。……ある種の「〆切」を設けられるので、不思議と書きやすい。こだわりが薄れ、「ええいままよ!」の気持ちでとりあえず公開まで乗り出せる。そして、後から読み直したとて、もう公開前に抱いていたこだわりへの囚われはすっかり消えていたりする。固執は、一時的なものなのだ。なら、断然こっちのほうがいい。タイムリミットがあるぶん、「思考<直感」で感覚が優勢で書きやすいのもいい。
量をこなすことに意味を置くなら、「する前」ライティングがオススメである。
忘却対策としては、「した後」にちょいメモさえしておけば問題なく、必要に応じてどこかのタイミングで捻り出せばいい。また、メモもなく「書くことないじゃん」となれば、そう浮かんできたことを一切フィルターかけずに「書くことないじゃん」というアホな書き出しにしてみるのはどうか。頭で考えず、指で反応するトレーニングにもなり、案外いいものだ。
この日記については、返信を読んで気になったフレーズ(今回であれば「映画館に『THE FIRST SLAM DUNK』を観に行く前に、書いている」)に反応して、書き出してみただけの記録となっている。
と、役に立つのか怪しいブログハウツーを、しごと(カフェオープン)の準備前に駆け足で書いております。あ、Obsidianちょっといじってみたいかも。
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