秋田・岩手遠征から戻って、拠点のイベント準備&開催、怒涛のリサーチからの新規プロジェクトMTG、月1回2コマ担当する英語クラスの実施、伴走支援する地域おこし協力隊の最後のフォローアップ、そしてSAN×TENの月1の共同作業 &収穫祭が終え、やっと一息。精神的にちょっとだけ落ち着いた。

まだまだやり残してることはあるし、来年4月に向けて終わらせたり、始めたり、持続するために調整したりの仕掛けのオンパレードだ。だいぶ新たな動きに対して、時間を割こうという気持ちが昂ってきた。よかった。

そう、おれは今、前のめりで、変化(へんげ)しようとしている。

へんか・へんげ

「へんかは受動、へんげは能動」(中略)「変化に対応する」ってなんて色気がないのだ。「へんげする」は色気がある。で、だ。前のめりになることで「へんげしちゃう」のかもしれない。「へんげするぞ」ではなく、「へんげしちゃってた」になるのかもしれない。そういえば分人の話は、「へんげ」とも言えるのだろうか。

その選択をしたことで「どうなるか」は正直わからないのだけど、沖縄生まれの「なんくるないさぁ」精神で選ぶからには「どうにかする」べく、その選択をぶっこんでみた、という心持ち。

受け身で“へんか”を待ってても、おそらく先は見えてていて、ドロドロした黒いものばかりが見える。抜け出せず、そのときにジタバタしても下に沈むばかりで、身動きがとれない。こわい。ただただ恐ろしい。だったら今のうちに自分から“へんげ”したほうがいい。だれかや社会の動きに驚かされるくらいなら、自分がへんげして驚かせるほうに回ったほうがいい。お化け屋敷のキャストになる気分で。何に化けたろ。

あ、“へんげ”については、自分的にはこっちの意味のほうがしっくりくるんだよなぁ。

 動物などが姿を変えて現われること。また、その物。化け物。妖怪。変化物。

というのも、最近、荒俣宏さんの本を読んでいて、八化け(狐は七化け、貂は九化け)する「狸」について考えることが増えたから。荒俣さん自身も狸に魅了された人の一人。戦時中〜戦後のとき狸をモチーフにした映画が流行っていたそうだ。もろもろの恐ろしいものの正体が、本当は狸だった、という裏があることに人は安堵できて、だから、狸に「化かされる」のも「ばかにされる」のも楽しめた時代があったとか。

そこらへんにいる人間、あるいは奇々怪界な姿に変化(へんげ)しながらも、正体は「狸」という核は変わらぬまま、さまざまな場面で人を化かし、ばかにしてきた狸。徳島はすべての「どんな妖怪も、その正体は狸」とする地域という話があるが、どんな形であろうとぜんぶ狸、っていう話はちょっと「分人」っぽい。正しくは分狸(ぶんり)か。分離しているようで分離しておらず、ちゃんと文理があるのが、文狸。

自分が狸のようにだれかを化かしたい気持ちもあれば、(化かされまいぞ…!と疑いにかかりまくる時代で)化かされる/ばかにされることも楽しめるようになりたい。突如、狸がすごい存在に思えてきた。昨日まで気にしてなかったメガネっ子が今日はコンタクトで急に気になり始めた、みたいな急上昇↑。

ちなみに、化かされたくない人は、次のことを気をつけるといいみたい。「もし」と声かけてくるのは狸のような妖怪(的存在)、「もしもし」と声かけてくれば人間。もののけは(なぜか)同じ言葉を繰り返せないので、一声でなく二声あることを確認するのが大事だということだ。とか言いつつも、「もしもし」さらには「おれおれ」と言って化かそうとしてくる人間もいるから気をつけなくちゃいけない。ぼくらは新しい時代に生まれちゃったみたいだ。

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