岩手の北上にいる。26日に鳥取の大山名和を発ち、大阪、秋田大潟→男鹿→能代を経て、岩手盛岡→遠野→北上なう。

明日、花巻空港から伊丹空港へ(2h・18460円)、そこからは米子駅まで直通バス(3.5h・4600円)。そして、名和駅に向かうだけ(0.5h・330円)。片道交通費23390円、約6時間の移動、してこうやって文字に起こしてみると、鳥取から岩手までの距離が思いのほか近く感じる。

ネット画面で確かめるだけでは掴みきれない、実体(経験)のともなった感覚だから、味をしめちゃって、またほいほい来てしまうんじゃないかとすら思う。

食へのまなざし

「四畳半?」という言葉からついつい『四畳半神話大系』アニメを思い出してしまった。映画まで観に行った作品だ。学生(寮)らしさとしての四畳半とばかり思っていたが、じつは、方丈記のような思想を汲んでいたのはないかとハッとした。おそらく違うのだろうけど。

家の中で、行動ごとに部屋を分ける、という発想を学んだのは、谷尻誠『談談妄想』だった。沖縄にいるときに設計のお仕事されてる方が、紹介型の読書会に持ってきてくれた。これがおもしろかった。谷尻さんが聞き手となり、さまざまな著名人の方が「どんな家をつくりたいか」の妄想を膨らませる内容だっと思う。その中で、芸人・劇団ひとりが妄想した家がまさに敷地内にいくつもの“離れ”をつくって、空間ごとに何をする部屋かを仕切っていた。なんでも自身の性質/性格から、そういった区別があるほうがいいそうだ。その発想につよくシンパシーを感じたのはよく覚えていて、いつの間にか、無意識的に自分自身もそういった家づくりをしようとしていたわけで。影響ってすごいなぁ。

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また、自分が“想像(の中で発展)しうる経験”を持ってるって大事だよなと思った。言い換えれば、きっと“変換力”なんだろう。江里さんの「食にあてはめてみるとどうだろう?」という考え方は、自分に関係ないような物事を自分ごと化していくために意識できたらいいプロセス。

世の中のことって、すべて道としてはつながっているはずなんだけど、それぞれが接続する道を見つけるのが大変なんだよな。わかりやすい大通りの道や、だれかがガイドしてくれる道は見つけやすいっちゃ見つけやすいけど、その道が好きかどうかは別の話だし、まだマッピングされてないだけの「ここからそこにいけるんだ!」という隠しルートはきっとあるわけで。

ある種、「今売れている人」とか「歴史に名を刻んできた人」ってのは、新たな道を示してくれる人であることが多い。今日、一日中考えさせられ続けた人物、柳田國男は、遠野という地を通して、昔話や(事実としての)民話が日本人という存在にとって重要であるという(それまでの常識では)予期せぬ道を生涯にわたって示してきた人だ。結果、日本における民俗学の分野を築き上げた(「妖怪」の扱い方も、彼以降、変わった)。

そんな仰々しいことまでいかなくとも、もっと生活の小さなことでいいから、自分なりの新たなルートを見つけ、それを文章などで見える化してみて、「あ、わたしもそれおもしろいと思う」「使ってみたい道!」となる人が一人でも増やせれば、ニヤニヤできるだろう。

どう“跡”を残せるのか、土地のせいか、そんなことをふと考えてしまった。そして2万歩近く動いたので(と腕時計が教えてくれたせいで)、もう、へとへとです。

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