自分ではない何者かになろうとする思想が苦手だから、コスプレという文化の受け止め方を未だにずっと戸惑っている。コスプレする人の全てがそういう意図ではないとしても。
Facebookのタイムラインがやたらにコミケのコスプレガールたちの記事を示してくる。その投稿をみるたびに、目を細め眉間に皺が寄ってしまう。
[ コスプレ なぜ ]
その組み合わせでググってみると、とあるコスプレーヤーの取材記事に辿りついた。
「コスプレはコミュ障に効く」というパワーフレーズ風の言葉があったが、はて、やはりピンとこない。自己肯定感の低さがもともとあって、コスプレすると気持ちが大胆になれるからいいとあるが、それって「結局、コスプレを是とする人たちの中だけでしか通じないものであって、日常に戻ればまたコミュ障なんてことだったらただの劇薬でしかすぎないじゃないか」と思っちゃうわけで。
あと、シンプルに承認欲求から目立ちたいだけじゃんって。そんな目立ち方して逆に虚しくないんかな。その虚しさを埋めるためにまたコスプレとかだったらもはや沼じゃなくただの毒沼じゃん。負のスパイラルに堕ちきってる。
もちろん、家や職場/学校などのコミュニティでは出しにくい表情を出せる場としてのサードプレイスとして機能するってのはわかるし、そういう抑圧から解放される場があるのはいいことだと思う。ただ、その365日のうち、数日しかないハレの日のためを思い、大部分のケの中でのことを耐える姿勢であるとすれば、やっぱり根っこの思想が苦手だ。
そしてそれは各個人に対して浮かび上がる感情というよりは、「自分ではない何者かにならなくてもいい、自分を自分として楽しんでいける空気に欠ける社会(構造)」に対しての感情なのだと気づく。だれかのつらいを餌に成長していくカルチャー、そして消費されてくコンテンツになっていたなら、ほんとくそ喰らえのポイズンですよ。