4月を抜ければどうにかなってるかもしれない。

と明るく想像していたことは、なるほどたしかにクリアした課題はいくつもあるから、わりと正しかったなあと答え合わせのような感覚だ。

とはいえ、まだ重くつらい提出物はよゆうであるので、もう一踏ん張りというところだろうか。この日記に手を出せてるってことは、だいぶゴールが見えてきた証拠でもある。

先日自分でことばにしてみて気づいたけど、今の時期って鳥取きてから一番きついっぽいんだよな。ただ不思議なことに、そのきつさ・しんどさってのは事実としてあるだけで、べつにネガティブなことでもなく、大したこととして取り扱っていない自分がいる。

「たまにできる口内炎」くらいのノリだ。

耐性がついたともいえるし、きつくなっている自分を側から眺めているもう一人の自分がいて、むしろ面白がってさえいる。悲劇と喜劇はオセロの関係、その実感値が高まってきてるんだな。ここ何年かで。

納得感と締め切り

締め切りがあるときついが、〆切があることで、なんとか納得がいくものを公開はできた。学びもあった。「クリエイティブなことってマジ大変だ。だって、いいものをつくるには悩まなくちゃいけなくて、それって”苦しみ”を通過することが前提の作業じゃん」という感じのやつである。

4月から通ってる学校では、課題だらけで、いわば締め切りだらけなので似たような感覚に陥っている。いままで視聴者として受け取っていたものが、表現者としてボールを投げようとすると、まず思考回路のバグが一回やってきて、提出間近になると「え、これっておもしろいんだっけ?」と不安からのバグがもう一回やってきて、精神ぐちゃぐちゃになる。

ネタを書くこともクリエイティブと呼べるのであれば、やっぱり、マジ大変だ。でも「〆切までになるべくいい形で出さなくちゃ」とあーでもないこーでもないと頭を悩ます血流が脳筋を逞してくれるのだろう。特にパンプアップする瞬間が、〆切寸前だったりするから不思議なものだ。

こういう鍛錬を繰り返すことでしか強くならないんだなあと再確認するし、これまでずっと避けてきたわけだよなあと少々後ろめたい気持ちにもなる。まあ、やるしかないことはやる。ある程度の量をやったみた後に、良いことも悪いことも見直して、次の「やる」と「やらない」を決めればいい。

今は立ち止まるところじゃないよ、ってことをひとまず手を打とうじゃないか。

p.s. こちら