書けば書くほどに、揺れやすくなる。

昨日、ふと気づいてしまったことだ。ここ1ヵ月ほど苛つきやすくなっている自分がいて、それを単なる「忙しさ」と理解していたが、実はそうではなかった。過去同じようにバタついてる時期はあったが、ここまで苛つくことはなかったと思う。

「この違いってなんなんだろ?」

その答えが「書くことを再開したから」であった。ウォーミングアップ的に、ただ記録するでなく、わりと本腰入れて自分の拙い文章に向き合おうとしている。書けば書くほど(その前にある「何を書くか」考えれば考えるほど)、自分の微細な感情に向き合わざる得ない。その過程で、閉じかけていた感情が開いてきて、揺れやすくなっていたのだ。

普段やっている仕事というのは(ここ2~3年、書くことを呆けて向き合ってきたのは)、チームで取り組むものばかりで、いかに自分の感情を抜きつつ、「自分無くし」をしながら、ファクトベースで企画を組み立て、事を動かしていくという手法をとっていた。もともと感情が振り幅凄まじく、一度揺れると作業が手につかなくなる性質がある。だからこそ、意識的に、生存戦略的に、自分の成分比率を下げられるよう感情を閉じることに専念していたわけだが、そいつが仇となっていた。

ぼくの今の不安は、「バランスが取れるものなのか?」、この一点でしかない。

個人として書いていくことと、法人(チーム)として動かしていくこと、この二つがうまい具合にバランスがとれるのか。はたして器用に、分人できるものか。

あるいは、もうどちらかに振り切っていくしかないのか。とすれば、現状を過渡期と理解して、書くだけに専念できるように覚悟して、淡々と必要なものを積み重ねていくしかない。

感情が出るとまわりに迷惑かけるのは承知なのだけど、できるだけ、揺れていたいのだ。そんな暮らしをぼくはずっと望んでいた。