5泊6日大山泊の友人が京丹後へ戻ってゆき、なまはげのような来訪神が過ぎ去っていった実感がある。友人を見送った昨日は、家に戻るとすぐに昼寝をはじめた。ぐっすり眠って夕方にむくりと起きた。
なるほど、どんなに親しい仲であっても「暮らし」の共有ができていないと1週間近く一緒にいるのは、無意識的に気を張ってしまうわけか。
普段は、約束をしないかぎりは、起きたいときに起き、働きたいときに働き、食べたいときに食べ、寝たいときに寝る生活をしているのだ。そりゃ、相手と過ごし方のリズムを合わせる数日間は、MPがいる。HPはあまり関係ない。
さて、昼寝を終えた昨日から、一人の時間がはじまり、ついに新年が明けた気がした。とりあえず、そろそろ切れそうな猫たちの餌を皮切りに、シャンプーとリンス、そして、数冊の中古と新品の本をポチり、もうしばらく買い物はいいやという気持ちにしておいた。
さっきシャワーを浴びたあとに体重を測ったら、1.5kgほど増えていた。人といると1日2食以上を当たり前に食べるよなぁとふと思った。
○ 桃しいたい5歳児
しいたけ占いの獅子座では、「遊びの年」「クソガキに戻る」という言葉が並べられおり、牡牛座と少し似てるのかもしれないと、そのページを読み進めてみた。
しかし、書いてあることを「自分が牡牛座だったら」の気持ちで読んでみてもしっくりくるものはあまりなく、「じつはどれも似たようなことが書いてるあるんじゃないか?」というあえての批判も問題がないことを実証した。そのあと、射手座の文章も読んでみて、確信した。
なにはともあれ、しいたけさんの文章はまるく、半年のあれこれの経験を受け止めろうとする弾力とやわらかさがある。だから、「100%信じよう」とまではならなくても、「そうなるといいね」とポジティブに文面を何かしらの支えにしようと心が動くんだろうな。
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そうそう、惰性も惰性で、期間限定で流れていた『勇者ヨシヒコと魔王の城』を一気観してしまった。まあ意図せずに観たが、11話の「街にちらばる欲望は魔王の仕業」という文脈は、妖怪とか憑き物の概念に近いよなぁと思えたから、無駄の中にも意義を見つけてしまった。ほんとは、価値など一つも見出すことなく「あの時間なんだったんだーーーー!」と栄養のない時間を数え噛み締め、ぐじぐじしたかったのだけども。そりゃ、積極的に溺れたい日もある。
それとひさびさに『DEVILMAN crybaby』も友人と観たのだけど、2回目のほうが話の筋があらたかわかるせいか、ボールがゆっくりよく見えるように、こう展開していくための伏線はここにあるんだなと演出部分で気づけるところがいくつも見つかって、それはそれでいいもんだと再確認した。ただやはり、何をするにも学習してしまう自分はなんなんだ!と少し思わなくもない。
『悪魔くん』といい、山田五郎の絵画解説といい、最近は「悪魔(とキリスト教)」について考えさせることが増えてきた。妖怪の自由研究も、国際比較をもってやっていけるといいんだろうと腹を括ったタイミングだ。今年は、悪魔の関連資料を少しずつ集めていこうじゃあないか。