ひさびさにパソコンに直接文字を打ち込んでいる。

最近の“いつも”であれば、一度まずはポメラに思いつくままにまず打ち込む。違いとしては、ポメラは縦書きで原稿用紙形式の表示にしているので、書いてるときの気分はだいぶ違う。不思議と文字数も気にならず、打ち込み終わったときに「このくらい書いたのか」と気づくくらいに程よく集中もできている。

そうやってポメラで書き上げたものをUSBで接続し「PCリンク」でアップロードし、WordPress投稿にコピペする。その後、ちょっと読み返して、時間内のできる範囲でリライトしてみて(主に追記が多い)、公開準備に移る。毎度URLにつける英単語は何しようかなぁと少しだけフリーズするが、持ち前の適当さと検索力でどうにか解決。「おめでとう、今日も一本公開できました!」となる。

自分のなかに残す解体の余地

こういう習慣がいつ間にか形づくられていることはやはりうれしい。ぼくの分類としては、習慣には“内発習慣”と“外発習慣”の二つの意識がある。自分の意志や興味だけでルーティン化できる、内発習慣。対して、自分の意志や興味だけではむずかしいので、他人を巻き込み/他人に巻き込まれた、ゆるやかな強制力のもとにルーティン化してゆく、外発習慣。

ぼくは自分がなまけものだと信じざるえないので、仕事にまつわるものは、なるべくは外的習慣づくりをするように心がけている(そうしないと仕事がまわらない…)。ただ、こういったブログには内発習慣だったりするし、さらに交換日記を重ねている今は外発習慣だったりもする。なんにせよ、書くが続くことはぼくにとって好ましく、精神衛生上良い。良すぎる。

そういえば、「自律」と「他律」ということばがあるが、教育的な観点だと、自律できるまでに他律(人や仕組み)で支えるのはわりと大事な考え方である。ちょっと調べて気づいたが、自立と他律の弁証法的なことばとして「合律」というのがあるらしい。なるほど、ぼくのブログには、もしかしたら合律的エッセンスが混ざりこんでいるのかしら。

そうそう、縦書きのポメラだと「”」の向きが読みづらく、いつも誤入力してはパソコンで直す、という愚行を繰り返しているが、今回はそれがなさそうでグッドです。

p.s. 自分の「(身体的/精神的)反応」をメタで観察できるのがいいと思っているのもあり、最近はあらためて認知行動療法の情報をついつい拾いがちだったりします。

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