珈琲を飲むと、お腹がくだる。毎朝のように珈琲を飲むわけだが、この体のカラクリが変わる様子はない。そして、今朝も通常運転で、トイレに駆け込んでいく。健康である。

風通しに、縁側の戸を猫一匹が通れるくらい開けておく。すると、うちのボス猫がその戸から首だけ外に出して、キョロキョロ見渡している。ハンターとしての血が騒ぐがゆえなのか、野良猫を警戒してなのか、理由は定かじゃないが、戸の間から首だけ出しているときの猫の背中には風情がある。これはぜひ、わが家の名画として鑑賞してほしい一枚だ。

さて、最近のぼくはいうと、うまく回っていない。「回ってない」とは、思い通りのペースで事が進められない、つまり、詰まってることがある、という意味だ。あんまり気が乗らない仕事を引き受けてしまったからか、案の定、手をつけようとしない。能力的にできるできないでいえばできることを、手をつけない。さすがに納期的に放置はできないのでやるが、これが片付くまでがドヨンとした気持ちのまま行くのだろう。

回っていなかった理由をあげれば、数日前まで1週間ほど移動が続いていたのもある。物理的に、作業に向き合う時間がごっそり抜け落ちていた。その移動がHPを削るだけのものであればいいが、MPがだいぶ削られたので、回復するまでの時間がかかっている。東京3日に、京都4日。6月からの半年を「企画メシ」という企画の連続講座に参加することになり、初回はリアルだったため参加者に会いたいなぁと思ってふらっと行ってきた。その流れで友人に会い、勉強したいバーへ立ち寄り、仕事の打ち合わせを挟み、みたいなことをしていたらすぐに1週間が経った。酔って財布をなくしたり、すごいいい店のいい子に出会ったり、恥ずかしながら一喜一憂してしまったのもあり、そりゃMP削られるわな、なのだが、総じて濃く深い体験ばかりがあった。何かのターニングポイントになってたんじゃねえか、くらいの。

そんなこんながあって、MPも回復しかけて、やっと一息。火曜は1週間のうち唯一のお休み。ひさびさにカレンダーに一つも予定が入っていない。原稿も書かない。家事とお金まわりをいろいろする。草刈りと模様替えをし、冬〜春服をしまう。あと、なくした財布に入っていたカード関係の再発行に向けての手続き、ついでにもっかい年内のキャッシュフローを計算し直す。7月からうちの会社にアルバイトで学生が入ってくるから、何か一つくらい仕事とり行けたらなぁの気持ちになりかけている。

まとまらない体と心

おそらく、体をむちゃくちゃ動かす日になるだろう。それでふと思い出すのが、養老孟さんの「体がついていってない」「人生そのものは合理的でも効率的でもなく、それを教えてくれるのが体なんだよ」発言だ。昨日ちょっと草刈りしただけでも熟睡できたし、なんかいい夢も見れた。最近の足りなさは、シンプルにこういう疲れと汗だったのかもなあ。回ってないときほど、頭じゃなく身を使うことを心がけるのだよ。

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