9月に比べると、googleカレンダーの予定は減った…かのように見えたけど、実際には公私ともに微々たる予定が積み重なっていて、丸一日「何してもいいぞ今日は!」という日は取れていなかった。そんななかでも新たな習慣づくりは進み、(毎日が最終目標としつつ)少しずつ安定してきたものもあり、「まだまだ変化していけんだなぁ」と不意に驚く瞬間すらある。まだ「若い」と断言しちゃってもいいのかもしれん。
特に変化してるのが、書く習慣。書く媒体や時間を見直してから、メモ(ネタ)の付け方も変更した。主たるメモツールを、LINEキープからGoogleキープへ。「分類」を意識するとこっちのほうが都合がいい。また補助ツールとして、Trelloを復活させた。「TENGの業務」ボードと「書く媒体/テーマ」ボードを整え直せたおかげで、だいぶ迷いが減った。そう迷いが一番の停止状態を生む原因なので、スッキリ仕分けできたのは大きいのだ。
○ ワジワス
言葉を知るのは、経験をしてからでいい。自分の性質に当てはめてみた結果、時間とお金が許すかぎりは、そちらを選ぶようにしている。先に言葉を知ると、言葉が孕むイメージ(意味)に自分が縛られて、腰が重くなることがよくわかるから。15年前は言葉から入って呑まれて挫折していた「起業」も、3年前にはその言葉を一つも意識することなく、うんちのようにスッと起こせちゃったのは経験の連続の末であり、今になって「はいはい、起業の一つのかたちってこれね。思ってたんと全然違うわ。むしろなんであんなにハードル上げまくってたんだろうなぁ」と思う。
時として、意識なく知識なく事を進める、ということも一つの選択としては重要なのだ。
それに、知らないことによる、手探りから生まれるおもしろいものだってあるだろうしさ。
同様に、言葉にする(言語化する)のも、経験したあと(やってみたあと)、もしくはやりながら、でいい。自分の動きに合う言葉ですでに先人が名付けたものでいいのが見つかればそれをそのまま使えばいいし、見つからなければ新しくつくってもいいし、「ワジワス」のようにすでにある言葉から組み直してもいい。
名付けられてるということは、線が引かれているいうこと。その線をトレースしようとばかりしていると、そこからはみ出ることを抑え込んじゃうし、はみ出た先にある心地よさとか伸びやかさに気づけなくなる。だから、とにかく自分が動きたいように動いてみてから、どの線が近くにあるのかを確かめててみて、フィットする言葉を選んでいけばいい。
自分のものになっていない他人から借りた言葉を自分のように語る姿をみたときほど引いてしまうが、ごろごろと違和感ある他人から借りた言葉しか備えてない自身を見つけてしまったときが一番ドン引く瞬間だ。自分の経験から、自分に合った言葉を探す。それだけやり続けられていたら、日々は不幸せではないんじゃないかとこの頃はよく思う。
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