プーーーンでありプンでもある文章に湧き立ってしまった。遊びがめちゃくちゃ響いた。

上機嫌のコーキくん

人間、出戻って「やっていたことを、またやる」瞬間がときたまあるけど、「またやる」あるいは「またやってしまう」、もっといえば「また求めてしまう」ものには正直すがったほうがいいのではないかと最近では思う。「また」やるということは、その前にどこかしらに寄り道してたわけでもあり、そのとき見た風景そのとき考えたことが「またやる」ことに何かしらの影響がないわけがない。意味をもたらす「またやる」なんだろうし、意味がないところに意味をつくれるくらい熟成させていける経験はそれなりにしてるはずである。自分(と自然と吸い寄せられてしまう行動)を信じていくかしない。

*

毎日書く、を意識的に続けるためにモーニングページを再開した。そう、「やっていたことを、またやる」を今まさにやっている。ルールに沿ってめちゃくちゃ丁寧に進めるのでなく、とにかく書き散らかせるようにA4の1ページを汚していく。白かったものが黒で埋まっていくだけで不思議と自分が今日も生きてることを確かめる術のようで、ただのペライチが今日のおれを受け止めくれる高貴な一枚に錬成された気分になる。この汚れは、存在証明なのだなぁ、そして世の中で大事とされてる整った履歴書よりも何十倍も捨てがたいものだと思えてくる。

デスクの上には20冊ほどの本が積まれている。買ったがまだSNSに投稿できてない本である。月に20~30冊ペースで今増えてるだろうか。冊数を稼ぐのはブックオフの購入だが、毎月ちゃんと新刊も買うし、支持する著者には敬意としてなるべくは新品で買うようにしてる。とはいえ、民俗学など学問系の本はそもそも新品で回ってないものも多く、古本の価値を今になって考えさせられている。

『激安ニッポン』『じぶん時間を生きる』『べつに怒ってない』『一汁一菜でよいという提案』『板尾日記』、今日とどいた本をペラペラとめくりながら、今晩のタスクが終わらせるための算段に頭を悩ませる。どうせ悩んでるうちに今日も終わるんだろうから、興味あるものを読む観る書くなどして時間を融かして夜を生きたい。

One Comment

  1. Pingback: モヤによる後半の言葉の壁 | yeri.me

Comments are closed.