5年前、ぼくは何をしていたのだろう。その足跡を追うためにnoteをのぞく。
2018年の8月、22本の記事が公開されていた。東京から鳥取大山に移り、今の家で暮らしはじめた1年目、加えて5匹の猫たちがやってきてから2ヶ月が経ったくらいのときか。暮らしのリハビリと思って、ほぼニートをしていた1年間の渦中、家中にばかりいた。
「文章を書く(書ける体質になる)」
求めてるもの、めざしてるものは変わらない。きっと、温度も変わらない。だけど、こんなにも更新頻度に差があるのは、向き合ってること、あるいは向き合わなくちゃいけないものが原因なんだろう。一言でいえば、仕事がある/わりと働いてるから、なのだけど、結局それは地域の人たちとの関係性の積み上げによるものでしかない。
今、5年かけて身につけてきた装備を、少しずつ外しにかかっている。この5年前にはじめ、続けてきたことの一つの終わりに向かっている。
あれから、心情は変わらず、日々の仕事が変わり、さらに変わったものがあるとするなら、5年間「できること」をベースに積み上げてきた仕事のおかげで、「書くこと」の意味づけだろう。書くことは「やりたいこと」だと思っていたのが、書くことは「ないとやっていられない、ままならないもの」だと理解した。つまり、食欲をそそる熟した“実”だと考えてものが、じつは、実や葉、枝、幹のすべてを支え、土から水や養分を吸いとる“根”っこだったわけで、ずっとずっと解釈を間違えていた。
たったこれだけのことに気づくのに5年もかかった。動くときは、いろんなことが一瞬で起きる。地上から宇宙へ到達するくらいのレーザービームが放たれたように、大きく飛び、まわりの人を揺らす。なのに、動かないときは、些細なことのための5年もかかる。そんな整合性のとりにくい、ぐちゃぐちゃした我が身も言うほど嫌いじゃない。
あ、名前が「将五」だから「5」という数字に引っ張られやすいのかしら。名は体を表す、ってか。
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