うんち、くらいの気持ちがちょうどいい。

かつて定期で配信していた「うんち的メルマガ」。文章としての出力(アウトプット)は排便みたいなもの。むしろ、能動的・受動的のどちらかにせよ、すさまじいほどの情報を入力(インプット)をしてるなか、そこに紐づく思考や感情をうまく処理できないでいると脳が便秘になってどんどん苦しくなっていく。このしんどさが厭で厭でぼくは文章というガス抜きへと逃げた……。そんなこんなでとにかく排便的に書きしたためていたのがうんち的メルマガであった。

そのメルマガをどこぞやのタイミングで趣向を変えてしまったのが運の尽き。ちょこちょこ登録者が増えてきてしまって、自分の排便に対する自意識が芽生えてきたのか、きれいなうんちをしようという気持ちわるい姿勢をとるようになった。挙句の果てには、何を書くのか考えすぎて、更新すらしなくなり。

うんち、という少し舐め腐ってくらいだったから、身構えることなく、噴射できたのだ。それを、少し高尚な黄金のうんちにでも仕立てようという愚行に走ったために、また脳の便秘に陥った。一度詰まるとこれがなかなか……。

今少しずつうんちを出しはじめられている。そう、うんちだからいいのだ、うんちがいいのだ、ぼくにはうんちしかないのだ。