何か新しいことをはじめたら、変化を感じられるようになるまでが勝負である。
その勝負は「忍耐」の有無を問われることもあるだろう。ただ、一定期間をつらさ・苦しさを抱えながら過ごす「耐え忍ぶ」という考え方はあまり好きではない。というか、性に合っていない。自称“カリスマ三日坊主er”としては、そういったネガティブ感情よりも、積み上げたり、小さく気づきがあったり、楽で楽しいなどのポジティブ要素を迎えやすい環境づくりを重視してしまう。つまり「てへ、いつの間にか続いちゃった!」という罠にはめられるように自分を取り囲むのだ(習慣エンクロージャー)。
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オンライン英会話をはじめて、2週間が過ぎた。ゆーても、1回30分を週に1~2回程度のペース。そんな変化を感じるほどの積み上げをしていない。と、覚悟はしてたものの、意外や意外、2週間前よりは「パッと出てくる表現が増えた」「わからない状況に出くわしたときにビビらなくなった(わからなさを細かく伝えられるようになった)」などと変化を感じられる。これってなんでなんだろうと考える。
おそらくセッションのたびに煮え湯を飲まされてきたからだろう。「思ったことをことばにできなくて、悔しい」が何度も何度もあった。死ぬほどあった。悔しいから、ちゃんとふり返って、自分が言いたかったことをDeepLに日本語で打ち込んで英語に翻訳する。その英文をLINEグループ「英語メモ」にぶち込み、口で覚えるべく数回発音する。一回のセッションで悔し文が5文以上生まれ、その分だけ少しずつましになっていく。かなり良いサイクルに入れたし、感情に紐付く学習ほど記憶に残ることを実感する。
そうやって冒頭のことを考え直し、「『悔しい』はネガティブとポジティブのどちらに属するか」と問うと、「そりゃあポジティブのほういいでしょ」と即答できてしまう。むしろ、この“悔しいと感じる打席”に立たないと、自分の場合、変化が止まってしまうんだろなぁとすら思う。できれば悔しい思いはしたくないが、悔しくないと前に進んでいけない。おそらく、そういう性格なのだ。
そして「悔しい」には「恥ずかしい」がセットで付いてくることが多い。そこで気づいた。現状、ネガティブ扱いしまっている「恥ずかしい」をポジティブなこととして書き換えていけば、自分はもうちょい伸びしろがあるんじゃないだろうか、と。35歳になる年だが、やれること、やれそうなこと、ためしてみたいことが沢山ある。学び続け、「あ、もうちょい学びたかったな」と志半ばで死ねるのが好ましいのだが、その路線にちゃんと乗れてきてるような気がした。
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○ ゼルダの浸水
そうそう、“浸水的暇つぶし”といえば、最近『マリオカートツアー』を再開した。『ザ・マリオブラザーズ・ムービー』を観て、まんまと任天堂の策力にハマった結果なのだが、やはりおもしろい。スーファミ時代から積み上がってきてるだけのことはある。
頭を空っぽにしておきながらも、単純な操作でカートを走らせ、スコアを稼ぐ。一時期、世界ランキングTOP1000に入ったこともあり、ここでも伸びしろは幾分か感じてもいる。一瞬の微細な指の動きで走行に影響が出るゲームである。その点では、一種の脳トレであり、無意識的に集中を注げる数少ない対象でもある。もともとゲーム好きなので、はじめるとキリがない(泥沼にハマる)と恐れて基本は手を出さないようにしてるが、まあまた飽きるまではやってみるか。
集中ないし没頭をつくるゲームってやっぱりすげえな。
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