昨日からのこのことまた東京にやってきている。しかしまあ〆切の原稿だの、事務所引き上げの準備・片付けだのでつねに手足は動かされるし、あれこれが頭の中がぐしゃぐしゃだ。こういうときほど、書いて落ち着くにかぎる。午前中にこういう時間をとれるのは、嘘偽りなく、至福のときである。

頭のせわしさの原因は、「さて、少し落ち着く6月から何するかなぁ」と考えあぐねている部分が大きい。「書く」「読む」「つくる」「学ぶ」といった動詞に着目しながらやることは決まってはいるが、どのくらいの時間配分でやっていくか、何よりもどのくらい人に関わるか・巻き込むかが悩みどころだったりもする。

来年から都内を軸に置きながら、あれやこれやと動きはじめる可能性が高い。その条件に向けて今年1年何ができるっぺかとつねに考えさせられるし、現状の問題に対して汗たらたらだし、その原因はやはり「地域のことはやろうとすればするほどに関係性が広がってしまう」ことである。極力は、自分一人で完結することだけで暮らしをいつくっていきたい自分としては、真逆の行為にあたる。土台づくりの5年までは重しをどんどん付け、基礎力をつけながら離れるための関係づくりをする時期とは思ってはいたものの、6年目以降まで、そんなことはしたくない。

ある程度の覚悟を決めちゃってーーーその覚悟というのは、一つは「やらないこと・手を出さないことはきっぱり切ること」。やることよりも、やらないことを選ぶ方が心苦しさはあるが、人間の細胞を変え、新生活をつくる。時間が足らなくなるのが一番こわいから、感情は切り離し、ロボット脳で判断することを増やしたほうがいい。取捨選択というより「捨捨選択」くらいの勢いで。ぼくがずっとプレーヤーでいられることであればいいのだろうけど、いつの間にかマネージャーであり、地域組織や会社を取り仕切る立場となってしまった今、やらないことは非情にやらない。もう一つは「表舞台にあがり、自身を晒すこと。裏方仕事が多かったり、リハビリ・鍛錬的にひっそりやっていたものを、パブリックに出して表現していく。そのとき、複雑性から離れ、一種の「わかりやすさ」にも向き合っていく。そうやって沢山の恥をかき、自分自身に潜りーーー新たな領域とステータスを開拓する。

うん、それだなあ。5月から酒を断ったのも、一つの覚悟としておくか。

ゼルダは時間を「溶かしている」のではなく「忘れさせてくれている」もので、楽しい感情が99%である。

「溶けるのか、忘れるのか」

“忘れさせてくれている”感覚はヒジョーにわかる気がする。ぼくがマリカーやるのもそんな感覚だ。一定の集中力をゲームにかけて、ウジムシのように湧いてくる不要そうな思考を振り払い、わりと今考えておけるといいよね案件をぼんやり考える時間になったりもする。オードリー若林が「ゲームは無心になる時間」と言っていたが、心を無に近づけながらも、思考を一点に集中させてくれるのが良質なゲーム体験なのかもしれない。

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