大山の「山」のほうでは、初雪らしい。そりゃあ寒いわけだ。コタツの外にいた猫たちも、中に入りこんできてギュウギュウ。お風呂の給湯器も42→44℃へと数字をいじり、敷布団に毛布を上乗せし、ぬくぬくと過ごせるように整えた。冷えれば冷えるほどに、温かいを求め、生きることを考えさせられちゃうから不思議だ。

どちらか、とその間

「どちらか」の話になると、やはり「どちらも」のことを考えちゃうし、その二つの「間」にあるものを探ろうとしてしまう。そして「需要」「供給」といえば、どちら側に自分がいるか/行きたいか、ではなく、需要も供給もどちら側にもいられるかたちを描きたくなる。

まあ人間、何かしらの需要はしてるし、何かしらを供給している。日常で車の需要がある人は、仕事でケーキを供給している。のように、需要と供給はAとBでそれぞれ異なることがほとんどだろう。

ただ自分のことでいえば、需要と供給の主語と対照が同一になるよう、暮らしに働きかけがちだ。自分のほしいものは自分でつくる。他人の言葉を借りれば、田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい。』じゃないけど、「自給自足」もしくは「自家発電」みたいなかんじで、不足を埋めていく。

この交換日記も、じつは、「書きたい、けど、書けない」という困ったところから出発してて、書きながらいろんな気づきと継続という結果を得てる意味では、自給自足できている。ただ、ちょっと違うのは、「自分のために書くのだけども、一人の人間の目には確実に触れる」というちょっとした供給をしていて、さらに次に自分が書くための需要に対して、えりさんが応えてくれていることだ。まさに、「どちらかでなく、その間」のプラットフォームになっている(少なくとも、自分にとっては)。

書くことで尻上がりに気力(MP)が高まる身としては、ありがたい。気力がないと、家事も仕事も滞って困るので、書くことが暮らしの基盤を支えるのだとまじめに思う。

さて、いろいろ慣れ、気力に余裕が出てくると余剰生産な文章が増えてくるのもあり、他のプラットフォームにも手を出そうという(いい意味での)欲が出てきてはいて、その供給に対する需要がどこにどうあるのかを探ろう探ろうとアンテナが立つようになった。今年ももうあと2ヶ月しないうちに終わるけど、変化(へんげ)したなぁと思えるのでもう2023年はいつ終わってもいい。とかいいつつ、受験生としての一応の山場は残ってるわけだから、なんとかどうにかやれるようにしたい。おれ、やれるんのかなぁ…。

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