強引なくらいがちょうどいい。「ホップ、ステップ、ジャンプ」という根拠だてた文章よりも、「ホップ、ステップ、ワープ」くらいの破天荒な文章のほうが、じつはいいんじゃないだろうか。

振り返りと強引な結

新たな問題に対して、適した型をつくるのが、人よりも得意なほうだとは思う。が、一度つくった型に囚われてしまうことがよくある。当然ながら、今と昔は違う。半年前、1ヶ月前、いや昨日の過去だとしても十分な昔であって、今とは状況が異なる。そんななか、過去の型を模倣しようとするに無理があるのだ。

日記の更新が止まっていたのは、自分の中にあった「このブログの、交換日記は、こう書く」という型にはまろうはまろうとするがあまりに、書くのが億劫になってしまっていた。もちろん、気持ちだけのせいではなく、他の〆切や移動など重なってこともあったが、そういった変化を含めたうえで絶えず更新していくためにも、過去の型には囚われてはいけなかった。

『おもしろい日記の書き方|無駄づくりの学校』を観ていて、ハッとし、ウッとなったのは、最近の自分にどれだけ自由さがこぼれていたかに気づき項垂れたから。「毎日書く」そして「一行でもいい」のハードルを下げ、自由度を上げるちょっとした工夫が足りてなかった。乾杯できるほどに完敗である。

ふと、『板尾日記』の存在を思い出した。かつて紀伊國屋新宿本店で間接的に働いていた時期があったが、よく休憩時に本を眺めていたときに見つけたのが、この本だった。世代的にもはや芸人というよりは俳優の印象が強く、芸人としてはごっつええ感じやケータイ大喜利などで見かけた程度でつねに表情があまり変わらないシュールな人という認識だった板尾さん。この人はどんな文章を書いてるんだろうと日記のページをペラペラめくっていたら、日によってびっくりするほど文量が異なり、一行だけで終わる日なんてのがあり、ぽかーんと立ち呆けてしまった記憶がある。「これもボケの一つ?」と一瞬思ったけど、まあ毎日日記をつけるとは、こういうメリハリがあるのが自然なんだなぁと解釈し直したのだった。書ける日もあれば、書けないあるいは書きたくない日もある。そら当然か。

わりと好きな表現だからいろんなところで何度も書いていることだけど、「自転車のこぎ出しはちょっとだけペダルが重い」のだけど、こぎ出して車輪がくるくる回りはじめてしまえば、何かしらの法則が働き、フッと軽くなりスイスイと前に進んでいく。最初の重さがイヤなのであれば、こぎ続けるーーー書き続けるーーー日記をつけ続けるにこしたことはない。一行でいいのだ。一行でグッドとしつつ、長くなったらそれはそれでベターくらいで気持ちを留めておく。まあのんびり息長くやっていきたいのだ、そのために短くいこう。

てか、おれは“おもしろい日記”をつけたいという欲があったんだな。

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