近頃は、朝ごはんをとらないようにしている。食べ物を口を入れてしまうと満腹中枢が刺激され、もはや考えごとするどころでないくらいに脳みそがだるんだるんになる感覚があるからだ。珈琲だけ入れた空きっ腹のほうが不思議と作業がはかどる傾向にあるのが自分の身体の特徴だと理解できるようになった。都内滞在中は、毎朝のように上島珈琲にいるのだけど、サンドイッチなどのお得なセットを差し置いて、Lサイズのドリンクばかり頼んでいる。スタッフのかたも最初は「食べものは大丈夫ですか?」とぼくがシステムを把握できていない異人のようにおそるおそる確認してきたが、さすがにもうこの人はこういう人だと認識してくれてはいるようで、裏で“モーニングあきらめの人”といじられてるんじゃないかとすら思う。そんな自意識過剰で考えながら、今日も上島珈琲からポメラをたたき、日記を書き、PCにアップロードし、更新している。おはようございます。
◯ 思考トークン
「考える」ことについては、パソコンのスペックと同じように捉えている。1日の“思考トークン”の数が決まってるのは、自分のCPU・GPUそしてメモリが定められており、どこかに限界があるから(もちろん、経験によってスペックが組み換えられる瞬間はある)。マルチタスクになればなるほど思考は浅くなるし、場合によってはタブ開きっぱなしの忘却すらある。考える強度に耐えられないとシューシュー言って本体が熱くなるように実際に頭もぼーっと熱くなる。そんなときは、再起動や電源を切って、もう一度立ち上げ直す。
ぼくにとっての電源ボタンは、「寝る」ことであり、昼寝や夕寝を挟むのは、一日の考えごとを増やし、極力深く潜っていきたいから。外山さんの『思考の整理学』の一節に「がっつり寝ることで、一日を二度味わう」というニュアンスの話があるが、まさにそれを意識して睡眠を挟み込むようにしている。そういえば、水木しげるだって睡眠についてあれこれ言ってるのもうっすら関係し、ぼくの中での「考える」と「寝る」の結びつきはわりと固い。
ちなみに、「考える」を進めるにあたっては、人を巻き込む(どちらかが壁になる)と思考も物事も動きやすくなるので、意図的にやるようにしている。仕事においてはマストである。また、熱を帯び思考停滞時、「寝る」とまではいかずとも「風呂に入る」をすると、脳の再起動としての効果がいくらかあることが分かってきた。そして、つくづく感じることがある。考えるだけでも腹はかなり減るんだよなあ。むしろ考えるほうが身体を動かすよりもカロリー消費激しいんじゃないかって。朝はとらない分、お昼ごはんが毎度たのしみだ。
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