新たな書く習慣がついてきたと思っていたら、良き過去の書く習慣を失いつつあることに気づいてしまった。べつに悪いことじゃなのだけど、考えて書くようになると、油断して書くことができなくなる。なんとなしに、書くことを目的にして書くことをやらなくちゃと多少の恐怖が出てくる。自分の無意識にこそ宝が埋まっている直感があるので、それを無視して意識的なことで暮らしていき、すでにあるものをないがしろにしてる勿体なさへの恐怖なのだろう。

今書いてるような、ちょっとしたことでいい。大したことじゃなくていい。書いた後に、どう使うえるかは考えればいい。思考あるいは論理は後から幾らでもついてくる。いや、ついてこさせればいい。そんなオラオラなキャラではないけど、ここでは唯一、強引なおれでいておくれ。

とりあえず、朝と夜には書こう。ポメラに留めず、原稿用紙もいい。デジタルとアナログ、どこに書くと決めずに、そのときの気分で書きなぐる。書く出すことが目的なのだから、手段にまではケチをつけない。それが一番大事なことだ。自分がたのしくほがらかにのびのびとやれる形をつくる。これは書くことにかぎらない話だよなぁ。まあいいやとにかく書こう。どの媒体に乗せるか考えて書くのはやっぱり野暮だ。というか、性に合ってなさすぎる。馬鹿か、35年も生きてて、今頃気づいたのか。