私の名前は喪黒福蔵、人呼んで、笑ゥせぇるすまん。ただのセールスマンじゃございません。私の取り扱う品物は心、人間の心でございます。

この世は老いも若きも男も女も、心の寂しい人ばかり。そんなみなさんの心の隙間をお埋めいたします。いいえお金は一銭もいただきません。お客様が満足されたら、それが何よりの報酬でございます。さて今日のお客さまは…..オーッホッホッホ!

以前だとアマプラやネトフリ、今だと定期的にYouTubeで更新されてる『笑ゥせぇるすまん』を観るたびに、冒頭のセリフをシャドーイングしている。そのせいで口が覚えてきた(が文字に起こしてみるとまたちょっと違う感覚がある)。はて、この癖がついたのはいつからだろう。そうそう、さきほど「観る」と書いたけど、実際には「流す」というほうが正しい。1話10分ほどで完結するので、メシや休憩時間になんとなく内容を入れるにはちょうどいい。

純粋に好きな作品であり、今ちょっとしたテーマにしている“憑きもの”の参考になるので、不思議と飽きずに年中ループしている作品だ(……と書きながら気づいた)。通年で付き合ってる作品なんて他にあるのか、と思い返してもおそらくない。毎年どこかで小林賢太郎の作品を見返すくらいなので、『笑ゥせぇるすまん』を観る自分をもうちょっと観察してみようかなァ。

平穏とゆらぎ

「10万」という数字にピンときた。鳥取の今の暮らしであれば十分でやっていける金額だし、それを基準にTENGでの自分の役員報酬を月10万に設定している。「働き方」あるいは「休み方」を考えるときのポイントは、「どんな時間が自分にとって大切な時間なのか」の凝視と「いくらあったら最低限で暮らしていけるのか」の見直しが根っこにあるものだと思う。

“最低限”必要なものをしっかりと把握しておく。そうしないと、人間欲張りだから、すぐに「もっと、もっと」と生活基準を高めて、無意識のうちに自ら「あれがないと暮らしてけない」という洗脳をかけ、「足りない!」足らなくなりそう!」と不安に駆られて、心からやられやすくなる。何かが背後からずっと追っかけてくる生活は本当に疲れる。

今だって落ち着いてるとは言えないけど、20代で味わったしんどさを思い出せば、うぅっと眉間に皺が寄る。思い出したくはないけど、忘れちゃいけない記憶。それに比べらればだいぶマシな暮らしになっており、もうそれだけで十分と言ってもいいくらい(だけど、気を抜くと、欲張る自分が現れるから油断できない)。

「平穏がない」と自分が思ってるだけで、じつはもう平穏はやってきている。過ぎ去ってからしか気づかないのはやっぱりイヤなので、足るを知るじゃないけど、(昔じゃできなかったけど)今できていること、褒められることを自覚しながら、地に足をつけ、背伸びするならかるくつま先を上げる程度に、時折、がつんと気合入れてジャンプできるような生活をととのえていきたい。

プロ独身に向かっていそうな身としては、自分の心の隙間は自分で埋めていく、セルフサービスの質を上げる作戦をとりあえずしばらくはとってみようかと思う。心の中に喪黒福蔵を宿すみたいに。

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