「時間がとける」という表現がある。

日本語の文法状、表現としての正しさはさておき、うつくしいし、親しみやすい。抽象的な時間がさも物質のごとく液体状に変わり流れ去る存在として扱われるニュアンスは、自分の心境にもカチッとハマる。この表現使いはじめた人、すげえ、とただただ思う。

「スマホをいつのまにか手に取っていて、気づけば、もう深夜3時。時間がとけた(泣)」

ちょっとネガティブな「時間がとける」としての活用がぼくは多い。そこに哀愁はなく、後悔の念ばかり。とけ、川のように流れゆき、二度とつかむことのない絶対的で大いなる存在、それが時間だと突きつけられるようだ。

ふと、「時間がとける」の「とける」をメモしたときに、疑問に思ったことがある。とけるに当て込む漢字はなんなんだろう、と。「溶ける」なのか、はたまた「融ける」なのか。

「時間が溶ける」
「時間が融ける」

二様の意味がある。一つは固体が液体になる(融解する)意。もう一つは物質が液体と均一に混じり合う(溶解する)意。

角川 類語新辞典

辞書を調べると、「溶ける」も「融ける」も意味は同義だと記されていた。そして、ぼくが感覚的につかんでいた「液体のように流れゆく存在」としての「とける」は、「固体が液体になる」という意が強い。ビビビときたのは、二つ目の意、「物質が液体と均一に混じり合う」だった。

ここからは、さらに感覚的な話になる。

基本ネガティブ気味に、「時間がとける」を使っていたが、最近ふと、「あ、考えるのに没頭してたら、もうこんな時間か」という体験が久々にあって、この「とける」は悪くないなと思えた時間があった。つまり、スマホの魔力に”費やされる”時間はネガティブで、”好奇心から費やす”時間はポジティブな反応だと気づいた。

手抜きと効率:「自分の好奇心が流れる場所で素直にそれをやろうかなという感じである。」

ネガティブ「とける」は流れゆく存在として、ポジティブ「とける」は時間と熱量が混ざり合う儀式として、ぼくは捉えているようだ。そして、後者は、イメージはまさに「“融”合(フュージョン!ハ!)」であり、その先に新たなスキルとか思考とか、文章や企画のアウトプットがある。生産的に時間がとける瞬間とも言える。

こういった印象から、二つの使い分けを試みたい。意図せず、流れゆく無情を噛み締める、ネガティブな意を込めるときには「時間が溶ける」。集中力高まった状態で物事に向き合え、それが新たな(副)産物につながる、ポジティブな意を込めるときには「時間が融ける」

あくまでmy定義でしかないのだけど、自分の中ですっきりと意味を区別できるのは、精神への効き目は良いだろうし、そのときの気分に合わせて食事や音楽を合わせるようにことばを選べるのはやっぱりうれしい。

ちなみに(もはや、ことば遊びになっちゃうけど)、「時間が解ける」や「時間が説ける」だとどういう解釈ができるだろう? も“考えしろ”がめちゃくちゃある気がする。次の「融ける時間」のために取って置くお題にしよう。そんで、今この文章をまとめ終わったら「融けた!」って感じなんだろうなぁ。

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