「心がける」の印象はーーー自分にとっての解釈としてあるのはーーーシャツを部屋に掛けること。ポイントは必ず目に付くところに掛けることで、忘れがちな自分が忘れないような導線をつくるために配置することだったりする。うん、心がける、ぼくもいい言葉だなぁと思う。
そうそう、「コスパ」だけじゃなく「タイパ」って言葉が蔓延しはじめてることを、東さんの動画を見たときに知ったんだった。へ、タコパ?(たこ焼きパーティー)と脳をゆさぶられちゃったのよ。
「そんなに急いでどこ行くの?」
高校時代、意見発表会のとき、同じクラスの子がそのような冒頭の文章を読んでいたが、まさに今その問いがド直球に突きつけられている。時間を気にしすぎてもしょうがない。むしろ「あと5分しかない」とか追われるように仕事を含む生活をしてしまっている状況から抜け出すにはどうしたものか。
ぼく自身も「時間を気にしすぎる」苦しみを味わっている身として感じるのは、そのヒントは「地方にある」だし、相対的である時間をどのようにスピード調整できるかは、「早い!タイパがいい!」が主流の考え方となっている首都圏からいったん離れてみるのがいい。あくまで「いったん離れてみる」であり、考える時間がつくれて、よーく考えた結果、その地でやれること・やりたいことがあれば、付き合っていけばいいわけであり、絶交するわけではない。
あるとき、「時間はないものだと思って生きたほうがいい」とメモに付けていた。まあ実際にはあるのだが、時間の概念から解き放たれ、「あとどれくらい時間がかかる」という計算することなく、自分の好奇心のままに手足を、そしてその身体に引きずられて頭で考えられたらいい。
すらすら書けた今日の日記は、ひさびさに脊髄反射で「指で書けた」という感覚がある。書くことをあらかじめ考えて、頭で書いた日記ではない。頭で書く日記は、どこか「編集」というフィルターがかかって自分の存在をぼやかす気がするからあんまり好きではない。「自分のことばかり書いて」と言われてしまえば、そりゃぐうの音も出ないのだけど、自分のことばかり書きながら、その輪郭を指でなでていく作業が、ぼくにとっての日記であり、ブログなのだ。
読書室(i book room)をつくるための模様替え、70%くらい終わったけど、だいぶいいかんじ。動線変わると、行動が変わる。と信じつつ、今日ものらりくらりやってみるか。
Pingback: 予期せぬスイッチで脳内ルーレットが回る | yeri.me