10月。上半期を終え、下半期が始まる。やっと本格的に動いていくんだなぁ、と、調整に調整を重ねたじんわりやさしいプレッシャーのもと、最低限の逆算からでた今やっておくといいことを整理する。

一昨日、5泊6日の関西滞在(大阪〜京都〜奈良〜京都)から戻ってきたのだけど、移動中で出会った人や見えた景色から思いつくものの価値は高いのではないか。1週間机の上でうんうん悩んでいたことが、数分の街の散歩だけで解決してしまう。それと外に出るからこそ、今いる内(家)をより愛しく思える。

ぼくにとっては、今を飽きないために、それ以上にまだ今をやりこめる余白を見つけるために、移動がある。

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「実はできること」の自覚、「できちゃうこと」への変換

「できちゃう」という言葉が好きだ。もっといえば、「〜しちゃう」という“ちゃうちゃう”現象が好きなのである。無意識なんだけどなんか本人の核につながっていそうなこと。

2014年(おそらく京都〜小豆島滞在あたりかな)に、「MY FACEBOOK.COM」というサイトをつくっていたのをふと思い出した。ここで「continuing」という項目を加えたのも、9年前の自分が今と同じように“ちゃうちゃう”なことに関心があったからだろう。「小さい頃からなんか自然と続いちゃってるよなぁ」を探ってもらって、書いてもらっていたんじゃないかと思う。ちなみに、「芸人&アイドルチェック / 白紙に何か書く」が当時のぼくの記録だった。

定期でいっしょにpodcastをしてるサカタさんともよくチームづくりの文脈で“ちゃうちゃう”なことを話す。能力や性質がみんな違うなか、適材不適所のミスマッチング配置により、自分はおろか他人をもしんどくしちゃって、プロジェクトがうまく回らないのって嫌だよねと共有しつつ、そうならないためには人を視る眼と人を知ろうとする心と言葉が必要なのだという答えにいつにもたどり着く。

そんなサカタさんは、「できちゃうこと」を「息を吐くようにできること」と表現することがある。「相手の話を深ぼる」とか「場の進行」は、ぼくにとっては「息を吐くようにできること」なのだと気付かされたのも彼のおかげだったかもしれない。自分の力に無頓着でいて、30年近く申し訳なかった。今となっては「ちなみにできること」と自覚して、そいつを生かしながら日銭を稼いでるわけだ。

そうそう、日本語における「ちゃう」の意味は二つあって、「①完了」「②後悔、悔しさ」があるそうだ。①は英語でいう「have done」だろうか。ぼくは②の部分に好感を持っているのだろう。人間の業を感じられる。

「わかっちゃいるけどやめらない」

みたいな「ついついやっちゃうこと」って、その人の人間性が詰まっていると思うのだ。そこから紐解いていけば、何かとんでもないものが見つかる。それに人間ってのは完璧じゃなく、粗があるのが当然なので、隙がなさそうな人の“ちゃうちゃう”現象を見かけると人間らしくいいなぁと安堵する。ぼくは隙あらば、そういう他人の隙を探しちゃっている。

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オノマトペについてだけど、妖怪との相性がなんでこんなにも良いのだ、と考えはじめた。「べとべと」「けらけら」「こそこそ」「じゃんじゃん」「ふらり」「ぶるぶる」など名にすらオノマトペがつく妖怪がいるし、その現れるシーンでは「ゆらゆら」「ぴしゃぴしゃ」「どすんどすん」「きょろきょろ」と音や様子がセットになりがち。ここに特化した文章書けるたらいいのかも。さてリサーチだ。