我に返って、急に関心が失せた。あるいはついに整理ができて、冷静になっただけかもしれない。12月に入ってから向き合うことが変わったせいか、「あ、これ変えなくちゃな」というテコ入れ箇所がいくつも見つかる。しいたけ占いで、12月は「量ではなく、質の問題」「大胆な見直し」そして「面白くて、熱そうな進路の話」という言葉が出ていたが、あながち間違いじゃないような気がした。

いくつか見直す中で、SNSの使い方を変えていこうと決めた。Facebookは12月を最後に「投稿」を止める。インプットツールとしてはまだ役に立ちそうなのと、個人でなく会社や組織としては投稿はできるようにと、アカウントは残しておくつもりだ。その分、写真などのちょっとした投稿もnoteやブログなどにアップする癖をつけられたなぁと。一応いつでも完全削除で去れるように(一番心残りの)2007年くらいからの膨大なアーカイブは、すでにダウンロード済み。自分の記録として、または記事ネタになりうるデータはさすがに手元に残しておきたい。ワードプレスのブログ記事をサーバーごと無惨にも消してしまった過去があるので、そこらへんはかなり慎重なのである。ちなみに、Twitterも2アカウント分、投稿アーカイブ(計3万ツイート分)を保存した。これでいつでも離れられる。

アシスタントと曜日思考

「時間」か「場所」かで作業やプロジェクトを分けるの大事な意識だよなぁ、とむちゃくちゃアグリー。

フリーランスになってからの大失態はやろうと思えば「どこでも」「いつでも」作業ができてしまうことである。だから、休みの取り方も下手くそなまま数年が過ぎてしまっていた。あと、シンプルに集中力が散漫になりやすいという弱点の克服も考えなくちゃいけない。

まず考えたのが、場所とタスクの紐付けだった。家でやる作業、オフィスでやる作業、外出先のカフェでやる作業と分けていく。この点においては、鳥取よりも東京のほうがいろんな場所を短時間でホッピングできる(その分、お金はかかるのが生産率は上がる)ので、仕事をガガガと進めたい時期は都会に行けという脳みそになってきている。

次に時間についてだが、まさに「曜日」で分けていくという戦法。TENGという会社を立ち上げての1~2年は「水木しげる」にちなんで「水曜・木曜」を休みにしていた。つまり、休みなので「何をしてもいい」という自分に許しを与える日である。3年目の途中から「火曜」を休みとした。自分の場合、働くよりも休むを軸に動くほうが出力高まるようだ。そして、最近からは「土曜」を「妖怪について考える日」と改めている。柳田國男が民俗学に関心ある者たちで集って語らう「木曜会」をやっていたことにちなんで、「ドがつくほどに妖怪について考える会」の意味もこめて「ドよう会」とした。今のところ、会員は自分一人なのだが、そのうち声をかけて参加者を募ろうかとも目論んでいる。どうでもいいことほど肩をぶんまわしたくなるのだが、そういう暮らしこそが好きなのだろう。

そうそう、もう一つどうでもいい没頭といえば、スタンダップである。日本の漫談とはちょっと違う笑いの歴史と姿勢。『スタンダップコメディ入門(フィルムアート)』を読み終わったが、この一冊で歴代のスターコメディアンはおろか、アメリカのエンタメ全体に通ずる考え方を読み取れた。そして、「自分とは何者か」という問いを突き詰め、それが自身が身を置く社会とどう混じっているかをつつくことでで生まれる笑いの強さを感じされられちゃった。いいなぁスタンダップ。ネトフリ配信のスペシャルを時間の限りつまみまくっている。とりあえず、今はこうやってパソコンを前につらつら書いてるわけだけど、自分はシットダウンな状態でもできるおもしろいがしたいのだと確信したわけです。

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