人は、
書くことと、消すことで、
書いている。

オカキン

文房具メーカー「トンボ」の広告コピーであり、ぼくが学生のときに胸を掴まれ、今も掴まれ続けているゆるぎないもの。

ブログを通じて文章を書きはじめたころ、「書いたのに消した」は喪失感でしかなかったのだけど、やればやるほどに、「消したから書けた」の実感が増えていった。

書いてしまって、そこに残ってしまってるから、何かの障壁となり、次に進まないことだってある。書いたからこそ、文字となり実体のなかった思考や感情が見える化したからこそ、取るに足らないこと、あるいは、今必用かどうかを観察し、整理することができる。

ぼくらは想像の100倍以上も、無意識的に、言葉に囚われながら暮らしているんだろうなぁ。モヤとは囚われで、モヤをふり払い晴れやかにするには、(自分が解釈した)言葉を一旦手放さなくちゃなのかも。

モヤによる後半の言葉の壁

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