来年4月からどういう生活になるのかが全くもって読めない。そんなギャンブル要因となっているプロジェクトの準備でばたばたしてしまっていた。自分が超絶苦手な、いわゆる「書類関係」を無事に提出することはできた。ただ受理してもらえるかは別の話なので、しばらく「私、待つわ〜♪(あみん)」状態である。まあひとまずは、おつかれさま。

そして、ふとした瞬間に期待が溢れてしまい、新生活のパターンを妄想しはじめてしまう。妄想も、行動がともなっていたほうが具体性が高まる。猫たちのことを考え、天狗のこともあるし、高尾がいいんじゃないかとネットで調べられるだけの物件を調べる。「なんと、あそこって八王子市なのか」「高尾って羽田空港から直のリムジンバスあるじゃん」「そういえば人生初の『ペット相談』という項目にチェックつけてるな」など気づきが押し寄せてくる。めっちゃいいやん。他の可能性も探りつつ、引き続き、調べよう。

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『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』を観た(2回目)。前回は、池袋のシネマ・ロサだったっけ。ぎゅうぎゅうの満席で、1列目、となりのおじさんは後半のシーンでちょっと泣いていたように思った(鼻がぐずる、そんな音がした)。

じつは内容を細かく覚えてなかったけど、2回目で作品の何がグッときてたかが掴めてくる。コメディとして要所要所の笑いを外してない点、一人ずつ上司を説得するスタイルは「地域の関係性」の紐解きにも役立つ点、広告会社という舞台でのループ設定がゆえのクリエイティブあるあるの「わかりみ」に溢れてる点など。そして、何よりマキタスポーツ演じる部長の「描きかけの漫画」に通ずるものを、自分も持ってしまっていて、他に進めなくちゃいけないものがあるなか、諦めきれないものをどう向き合っていくか選択を迫られる姿に、「ああ、これは自分の物語だ」と思ってしまった点。

自分自身のことを信じれないせいで生まれた「書きかけの原稿」を書かせるべく、現状の自分の詰ませ方を熟考していきたい。やるぞ、やるんだ、ガッテン承知の助!

ぱいそん、目的、料理

「絞る」ということがどれだけ重要かを考えた。「絞れる」ということは、絞るために大事な観点が見つかってるわけで、それは自身の経験の上積みからなのだろう。

いろいろ選べるけど、自由すぎてもつらい。何を選ぼうと、頭を悩まされるどんよりしたエネルギーってあるから。だからこそ、自由の中で自分にフィットする条件を見出していく。

鍋ひとつで完結すること

自分の経験から条件づけていくことが尊い。それをだれかが課した条件に縛られると重たい気持ちになる。そしてたとえば「社会が」「会社が」条件づけたものに、自分の選べる自由が狭められ、絞らされてるとしたら、それは搾らされてることもあるだろう。

小さい頃から、絞るための練習をしてこないと、大人になってから困惑する。子どもたちと接していると、どれもこれも積み上げなんだなぁ、ふとそんなことを思う。

絞る対象は変わるけど、芸人おぎやはぎがお笑いを表現するときに「漫才」を選んだのは、「コントだと小道具など移動が大変で、漫才だと身軽に動けるからいいよね」みたいなノリだったと聞いた。自分の働き方の条件づけに「楽したいから」は当然あっていいし、そこから表現を絞っていくほうが自然だ。その自然さに人間味があり、うつくしさがある。

「こういう職業なんだから、こうじゃないといけない」。そんな通例・常識に囚われることなく、条件を絞り、ルールをつくって、その中で遊び回れることがうらやましくある。のびやかに生きるとは「職業をする」のではなく「自分をする」ことなんじゃないかと思う。おれにもそれができるだろうか、いや、そうなっていけるように今動いてるはずなんだよなぁ、と現在地を確かめつつ、後ろを振り返って見えた自分はちゃんと置き去りにしてこう。

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