気づけば、もう2月24日か。前回から1週間以上が空いてしまったいたのが、不覚…としか言いようがない。noteのほうは毎日更新がそろそろ1ヶ月になるので定着した習慣といってもいいだろう。ポメラストックもうまく活かせてる(間隔ありまくりで編集が大変&客観性が増す)。

加えて、音声記録や記事ネタを貯める時間もつくれるようになり、新年がはじまって以来、自分の脳みそにとっていい状態が続いている。あとは、どう崩されないよう、壊さないようにペースを守っていけるか、だなぁ。

そういえば、「書くこと」と「しゃべること」を行ったり来たりできる流れをつくろうとするなか、その二つの核は同じなんだとやっと掴めてきた気がする。頭でなんとなく知ってたことが、やっと体でわかってきた感覚だ。文章もトークも「つかみ」をどう表すかで、読み方、聞き方が変わる。意識することなく毎日ひたすら芸人のネタを観るような生活を送ってるので、たしかに「つかみ」の部分が大事っぽいのは情報の受け手として理解できる。逆にいうと、これまでの(特に)文章がつかもうとしてない書き方になっていたと反省する。

つかみは、「だれ(どういう見た目、背景を持ったやつ)が」「なにを」「どのような伝え方をするか」というルーレットの組み合わせだと思うんだけど、その意識の欠如を痛烈に感じる。悔しさはある、けど、「自分のために」から「他人に向けて」というシフトが少しずつ行われてる嬉しさのほうが勝る。

アニメ『ブルーピリオド』第1話で、主人公・八虎がはじめて自分が描いた絵が伝わり「生まれてはじめて人と会話できた気がした」と心でつぶやくシーンがあるんだけど、ああこういうのに向かいたいんだよな、という欲求がたしかに存在するのがわかる。

習慣と熱意変動率

「毎日やるぞ」はちょっときけんで、「やるかあ」「やってみっか」くらいがボラティリティをおさえる上でちょうどいいのかもしれない。「ぞ」に含まれた気張り。そう考えてみると「ほぼ日」の「ほぼ」ってすごいよなあ。

そうそう、「ほぼ日」ということばがすごいんだ。糸井さんしかり、「自分なくし」のみうらじゅんさんしかり、そういう思考のみならず、生活習慣まで染み入り、自分を意識を整えてくれることばってある。

もし死ぬまでにやりたいことをあえて挙げるとすれば、だれかの頭に残る「ことばの開発」だろう。自分が教科書で学んできたこと、そして、影響を受けていることは、結局のところ、だれかが開発したことばがもとになっている。100年経っても残るもの、自然環境うんぬん、社会システムなど必要なものはたくさんあるけど、問いかけ、新たなことばの開発に向かっていけるようなことばを見つけたい。うんとふんばって生まれるものでなく、案外、「あっ」と漏れるものだったりするかもしれないけど。そして、漏れ出るときって、雑談してるときが多かったりするんだよなぁ。

p.s. 今月は29日があって、うるう年なのかと思ってたら、小林賢太郎の 『うるう』がYouTubeにアップされていた。まだ手付かずの作品だったので、29日に鑑賞会でもやろうかと思っている。 / 脳がほぐされてきて作品として書いてみたい設定がいくつか浮かんできた。10年以上ぶりに物語に取り組むとなって、やっと積読になっていた『小説家になって億を稼ごう』のテクニカル部分のページをめくりはじめた。ついでにいうと、4月以降のどこかでシナリオづくりの講座を受けてみようとも思っている。/ 先日届いた『トークの教室』、読みやすく、わかりやすい。著者の青銅さんが「星新一ショートショートコンテスト」出身と知って妙な親近感を持った。題名は変わったみたいだけど、毎年コンテストは開催されてるようなのでこれに向けて1本完成させてーな。