心配ごとは減ってもまた新しいのが増えるから、ずっとゼロになることはないんだろうなぁ。ここ数年の3月は「年度が切り替わるまで終わらせなくちゃいけない!」ことにひぃひぃ言いながら過ごしてるせいか、心配ごとにえらく敏感になっている。特に今年に関しては4月からどう過ごすか(何で稼ぐか)もいまだぼんやりしてて、ちょっと暇ができると不安がひょいとやってくる。毎度丁寧におもてなすようにはして、まあどうにかするだろうからどうにかなるか、と最終的には結論づける性格ではあり、着火はするけどすぐ消えゆく炎であるのは幸いだったりする。

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毎日noteを更新しはじめてから、もう44日が経っていたみたい。30日を過ぎるまでは気にしていたけど、そこを過ぎると気にならなくなっていた。おそらく100日が近づくとまた気にしはじめるんだろうと予想はつく。

書いてくなかのちょっとした変化としてあるのは、「400字ジャストで書く」ことも意識的にやりはじめたことだろうか。気を抜いて書いてると(まさにこの日記がまさにそうなんだけど)、だらだらと1000字を超える。文量を気にしないのは楽できるからいいんだけど、自分が書いたものの情報の中から優先順位を絞る、という編集的な意味においては字数制限をするのはいいかもしれないという魂胆がある。

それに毎日更新するにも「400字でいいんだ」と思うと、気持ちは晴れやかだ。実際には、1000字だらだら書くよりも、400字絞りながら書くほうがエネルギー使うのだけど、錯覚を起こしてくれるっぽく、より更新しやすくなった。

あと、今までエッセイでも物語でも書こうとつけてるメモも「まず400字に広げてみればいいんじゃないか」と段階をつけて書き広げていくやり方もあるなぁ、と自分なりの書き方の開発もできそう。今はちょっとまとめて時間取れないけど、3月(4月にもズレ込むだろうけど)が過ぎれば、書きたいだけ書くという余裕ができる。そのときに向けた楽しみとして、メモを溜めまくろうっと。

「なんとなく」と「平穏」

たまに「おもしろくなくても最後まで読む」という人がいたりするのだけど、それってすごいよなあと思う。

おもしろくないから読むのをやめるというのは、期待していたものが手に入らないそうだ、という判断でもあるのだろう。自分が想定したものが得られなそうだから、やめる。一方で、おもしろくないけど読むというのは、ある意味で謙虚にかまえて、その先にあるかもしれない自分の知らない世界を見ようとする意志にも見える。そういう行動の先に、予期せぬ果実があることが多いのだろうか。

最近、おもしろいと思っていない/おもしろくならないだろうなぁと予測できる、あまり好みではない芸人や、めっちゃ若手芸人のネタを観るようになった。そして、なるべく最後まで観るようにしている。すると、これまではただ好きじゃない/つまらないと感情のみで処理していただけのものが、「なぜおもしろくないのか」とか「じつはおもしろくて広がる可能性があるシステムやワードを扱ってるんじゃないか」とかを論理で考えながら観れるようになっていた。そして、ちょっと好きになったりもした。ちゃんと思わぬ収穫があったのだ。

この場合、期待してたものが手に入らなそうだから途中でやめる、というよりは、端から期待はしてなかったけど期待以上のものが見つかった、という”ヤンキー捨て犬可愛がり”ギャップ現象が起こっていた。事実は変わらなくてもその事実の解釈を変えることで我が身にもたらせる変化ってのがあるけど、まさにこれなんだろうなぁ。こういう認知行動療法的アプローチはなんか合ってるみたい。

おもしろくない/おもしろくなさそう、は宝がたくさん埋まってそうだ。

p.s. リアタイで追っかけたくなるコンテンツってすごいですよね。M-1などのお笑い賞レースとかアニメだけはそういう感覚でずっときたんですけど、それがドラマでも通じるようになったのが『ブラッシュアップライフ』でしたし、『コタツのない家』でしたし、今の『不適切にもほどがある』という気がしてます。おそらく4月からの『おいハンサム!!2』もそうなりそうです。

作家だけどユーモリストとして影響をうけたマーク・トウェインの『人間とは何か」を読みはじめました。若者と老人の対話をつうじて「人間は機械だ」という論を説いている第一章ですでに頭がパンクしそうなんすけど、なんとなく理解できるし共感できれば批判できそうな部分もあったりして。とにかくじんわり脳が熱くなるかんじは心地いい読書時間になってます。

あと、YouTubeをきっかけにSpotifyで最近聴きまくってるのが「Scatman」です。うわめっちゃ知ってる曲だと思いながらも、wikiを読んで「吃音症を逆手にとった」とか「ヒンドゥー由来の歌唱法から取り入れた」とか知らなすぎた事実に衝撃を受け、味わうようにいろいろ聴いてみてます。メジャーデビューが52歳という話は、その苦節を感じられるけど、それ以上に希望はあるんだなぁとも思えました。