気を抜くと、すぐに「求められてる」ほうになだれ込んでしまう。そういう性質があるようだ。

「お店の営業時間も、この時間帯のほうが人がきそうだよな」「この日だとイベントしやすいよな」とかとか。本来、”ビジネス”というのは、そうった求められるものに合わせて設計するものなのだろう。考え方としては、”デザイン思考”に近いのかもしれない。社会→自分というルート。

一方で、「夕方以降から本調子になる」「みんなが寝静まってから自分の時間をつくりたい」とかの性質もあり、最近まではこっちが劣勢だった。ようは、ちょっと無理をしていたことが多かった。

「朝は起きれないんで、モーニング営業は断固しません。やるなら、バー営業かな」「火曜と木曜日は仕事のアポは受け付けてないんすよね」とか、自分の性質とゆずれないかたちを保ちながら、暮らしを守っていける仕事が”商い”だと考えている。こっちは、” アート思考”で自分→社会という接続点を探っていく。

ぼくがやりたいのは、というか、それしかやれないな、と感じるのは”商い”のほう。4~5月で人生におけるビジネスは終わらせるつもり。これは小林賢太郎が本でも触れていた「覚悟」としたい。

なんにせよ、ここ数年は、春うららの4月を過ごすのが一番苦手になってるなぁ。

「知りたいこと」と「知らないこと」の間

「この本おもしろいっすよ」とおすすめされるわけではなく、なんとなく読んでみる。

いやぁ、ほんとそうだ。すすめられたわけでもないけど、なんとなく気になって覗くことで新たに触れられる分野領域の旨みを、おれは知ってしまったのかもしれない。20歳そこそこの自分だと、「興味ないことは見ない!」の一点張りだったはず。

その核にあるのは、何なのか。おそらく、いや、100%、人への興味だ。興味を持てた人がいたら、その人の興味あるものも(その人を構成する記号として)触れてみたいと感じる。そうやって自分にとっての”知りたいと知らないの間”を浮遊していく。

冒頭の仕事の話もちょっと似ていて、いっしょに仕事をする人に興味が持てないと、すぐに”ビジネス”という感覚に変わる。ようは、自分が仕事するうえで大事なのは、「だれと」の部分でしかないということであって、「なにを」するのかは二の次なんだろう。

そして、ものづくりをする、表現をするというのは、他のだれでもなく「自分と」仕事することであり、その時間・状況から逃げてきたツケをこれから払っていくぜ、というのが一つの覚悟となっている。

p.s. もはや諦めていた『テラファマーズ』がついに連載再開となってアガっている。おめでたい。引き続き、『昭和元禄 落語心中』も読んでおり、5巻まできた。暮らしと芸能とは、と考えるなか『落語は人間がいないとできねぇんだ』の台詞の意味をずしんと感じた。

ピッコマ連載から追っていた『俺だけレベルアップな件』のアニメ1クール観終えたけど、やっぱおもろいな。転生とか「なろう系」の流れを汲んでる気はするけど、むやみやたらなチートじゃなくて、主人公が汗水垂らしながら強くなっていくかんじはジャンプ系の要素もある。韓国育ちのウェブトゥーンの中でも、画のぐあいもわりと好みだ。

地味に国語辞典にまたお世話になっている。本を読み進めて、知らない単語を引く。パラパラめくるときに、他の単語もいっしょに確認できるセレンディピティ感はいい。これも知りたいと知らないの間なんだろうな。